しーまブログ スクール・講座・習い事瀬戸内町 ブログがホームページに!しーま新機能のお知らせ! さばくる~イベント情報受付中!~

2021年05月28日

奄美で辛かったこと②

「奄美で辛かったこと①」に書いた「お願いだから晴れてくれ~(運動会のために)」の願いは聞き入れられず、
結局1日順延。土曜日から日曜日に変更に。

奄美だったらあんな程度の雨だったら決行していただろうなぁ~あの程度の小雨で午後に曇りとわかっていれば。
事実去年は結構な雨の中で開会式をし、そのあと少しずつ晴れてきた。
校長先生が「ほらね、やっちゃえばどうにかなるのよぉ~!曇りぐらいがちょうどいいでしょ!」と得意気。

さて、今年の東京の小学校での運動会。
問題は「見学者は2名まで」の制限である。そして惨いことに「未就学児もカウントする」という注意書き付き…

つまり、夫、私で行こうとすると、4歳弟は中にも入れない。
だからと言って一人外に置いておくわけにもいかない。校庭にある小さいが結構深い亀の池に確実に落ちて大騒ぎになるだろうし、
放置子で通報されちゃう笑!

我が家が見学できる種目は、朝イチに行われる学年別表現と競技(今年はソーラン節と台風の目)。
そして午後最後をしめくくる花形競技の「高学年リレー戦」の二つ。
それでもラッキーだ。リレー戦がない子の親たちは朝だけで終了。

夫に言うと、
「俺、別にソーラン節観なくていいよ。君が行っておいでよ。あいつ(息子)と一緒に家で留守番するよ」と(嬉しそうに)オファーされた。
ま、正直我が家は「走り」にだけ命を懸けているので、私もソーラン節は観なくても死にはしないが、
さすがにあれだけ一生懸命練習している娘がそれを許すはずもなく、
「じゃあ、朝イチ8時30には並ばなければいけないけど、まあ行ってくるわ…」ということに。

「うちの旦那、ソーラン節には興味がないって言われた!」と近所のママたちに愚痴ると、
「うちなんて、それって俺がいくやつ?と質問されたよ」とか、
「ビデオ回せばいいんでしょ?だよ、うちなんて」
…と同じような反応で、まだまだこの大都会にも「昭和の父たち」が存在しているようだ。
学校行事を母親任せにして(怒)!!!時代は令和だぞ!
ま、我が家はそれでも人数制限さえなければ絶対に習慣としてすべてに参加するタイプだから、今回ばかりは仕方がないが。

そして問題は午後のリレー戦。
こちらは夫婦共々どうしても観たい!なんなら仙台の実家の祖父も駆けつけて一緒に観たいぐらい命がけだ。
毎年学年一位(2クラス60人、男女混合)の座を譲らずにここまで来たのだから、これは命がけでも頑張らなければならない。

そこでもはや「邪魔扱い」となる息子は、彼の保育園時代に仲良くしていた一家に預かってもらうことにした。
第2子はこういう時可哀想だ。娘のときは初めての保育園・幼稚園だったからこちらも一生懸命友だちづくりをしたが、
二人目となると上の子の友人関係にそのままドナドナされて連れていかれるだけだから、「その子の友だち」が少ない!
我が家の場合は本当にその限定された一家ぐらいだろう。一緒にご飯を食べたり遊びに行ったりする家族。
そのパパもママも「いいよ~ゆっくり行っておいで~遊ばせておくから!」と快諾してくれたので、実質30分だが心置きなく見学に行けた。

ま、結果は…
娘が奄美に行っている間に「南米チリ」からイケメン、頭脳明晰、英語ペラペラ、そして俊足の帰国子女男子が転校してきており、噂にはなっていたのだが、娘はその令和の出木杉君に見事に負けてしまった…

練習の時から「コンマ3秒負けた!」とか「これぐらい(手であらわして)負けた!」とかいう事前情報はあったが、当日は夫婦で驚愕…
スターターを二人が希望して走ったのだが、その子がデカい!なんとデカくて出来上がった身体つき!歩幅もバネも全然違うじゃん!という結果。
それでも娘はその子に食らいつき、3位と4位を引き離して次へバトンタッチ。
周りは「すごいじゃん、女の子なのに2位だなんて!」、「2位じゃダメなの?」と褒めてくれても、
「ダメ~!」と私は蓮舫たちに反論した!

せめて今年までは勝って欲しかった…5,6年生になればどうしても体力に差が出てくる。だから4年生をラストチャンスに。

ただ偉かった。本当に偉かった。彼女は練習で負けていても「当日勝ちたい!って想いが強い方が勝つんでしょ?」と言い、
そのライバルが選ぶであろうスターターを自ら希望し、周りがわかりやすいライバル対決に持ち込んだ。
彼があんなにデカいこと、彼のお父さんが陸上選手だったことも教えてくれなかったし(後でびっくりしたけど)、
とにかく何の言い訳もせずに頑張ったのだ。

帰り道。夫と肩を落として息子を迎えに行きながら、そのお友だちパパママに報告。
「いいじゃん、立派じゃん」とは言ってくれたが、私は脱力してそのまま椅子に座りこんでいた。

息子とお友だちは遊び足りずにずっと外を走り続けている。それを追いかける夫。
私には無理…そんな気力も体力も残っていない。
あ~。こういう時は助かるな。お父さんがいると。

自分が優先で学校に見学に行けたし、
疲れていても子どもを見ていてもらえる。
悔しさもその場で共有できる。

奄美にいた1年数か月はこれができなくて本当に辛かった。いわゆる「ワンオペ育児」
物理的にも東京と奄美で離れて、しかも最初の半年は来島も自粛していたから心理的にも辛かった。
そのうち友だちも増え、夫も検査を受けて気を付けて来島するようになり、優しい大家さんにも恵まれて
「みんなに」子どもたちを見てもらえるようになってからは本当に気分が楽になった。

でもちょうど1年前を思い出す。第一回目の緊急事態宣言が解除されたのは5月25日。
そこまでの奄美「ワンオペ育児」生活は、二度とやりたくない…



同じカテゴリー(レビュー)の記事
 奄美で辛かったこと① (2021-05-19 12:27)
 拝啓奄美大島 (2021-05-15 23:25)
 今日も心は奄美にぶっ飛んで行っている (2021-05-12 14:06)
 東京に戻って (2021-04-12 16:27)

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
奄美で辛かったこと②
    コメント(0)