2020年12月23日
メールの適切な出し方・書き方
ここ数週間。
「ダイアロジック・リーディング」ワークショップの案内を出す中で、前からずっと気になってきたことでさらに浮彫になったことがあります。
島にはメール文化がもうない???
まあ、LINEがここまで普及するまでは、もちろん絵文字たっぷりのメール文化もあったでしょうし、
学校からの一斉メールはいまだに主流ツールとして使われているケースもあるでしょうが、
親同士の連絡、もっといえばPTAや子ども教室からの連絡までLINEに取って代わられた…という感じです。
ちょっと東京ではない現象かも。
あちらはまだ「メール=オフィシャル」「LINE=プライベート」のライン引きがしてあるので、
学校の公式連絡はもちろん、PTAの親同士の連絡もメールで来ます。
そこから各分科会になるとLINEで話を済ませようという動きもありますが、
あまりにやりとりが多くなると、「LINEのやり取りが多すぎて非合理的ではないか。決まったことだけ流せばいいのではないか。」という議論が上がったりすることもしばしば。
私は断然公式なものに関してはメール派です。
夜中ピコピコ鳴らしてしまう申し訳なさ、文章の分かり辛さ(この前も言ったように崩壊レベルに陥る場合もあり)、そしてやり取りの多さを考えると、LINEを使用するにしても「一斉報告」にとどめるべきだと思うからです。
そんな中、SLAの宣伝や連絡をメールとLINEの両方を使ってやっていますが、ここ数週間で気が付いたこと。
メールだと、相手の名前を名指しして送っていても一斉連絡と勘違い?見落とし?しているのか、返信が来ない!!!ということです。
これは初めての経験だったので正直びっくりしました!自分の名前が入って〇〇さんへといって連絡が来ているものを無視できるのか?という疑問…
しかもそのうち2人はそれなりのお仕事を現役でしている方たちなので、逆に仕事の時はどうしているのだろう…と思ってしまいました。
一方LINEだと、絶対に返ってきます。これはもちろん「既読」機能のせいもあるかもしれませんが、やはり名指し(というか個人のLINEアカウントに)で来ている内容には、きちんとなんらかのアクションをとらなければならないという意識が働いているからかもしれません。
私が教員から一般企業の仕事に転職した時。
一番戸惑ったことがメールの使い方でした。
教員だったころには全体へのお便りで済んでいたコミュニケーションが、一般ビジネスに変わると繰り返し行われる交渉ツールになったり、記録として残る公式文書となったり、上司をCCに入れることで承認してもらう報告になったり…ビジネス上の役割と機能がたくさんあるからです。
以下にメールの「適切と思われる」書き方を紹介します。ビジネスで使用しない人にも、何かしらに役立つ情報かもしれません。
●送信にして
まずは重要なこととして「タイトル」。相手が気づきやすいものにする。
これを「こんにちは」や「お世話になります」や「〇〇のXXです」にする人が多々!!!本当に多いです。
でもそれだと相手は「一体このメールは何の話?となってしまい、その後メールの内容を読み返したい場合に探しにくい、わかりにくい。
タイトルのつけ方はセンスです。会社や業界によっても違うことがありますが、一般的に、
【ご案内】XXXXX展示会(XX会社△△←名前)
【ご報告】XXXXXプロジェクト〇月〇日時点進捗状況(XXXXX建設△△)
などと、鍵カッコやカッコを効果的に使うと、このメールは何のことなのかが一回でわかるので探しやすい。
●返信について
ビジネス上は午前に来たものについてはその日の午後のうちに、午後に来たものは翌日の午前中に返すのが一般的。
それ以上遅れる場合は、メール冒頭に遅れた理由(休暇中だった、出張中だったなど)を入れて遅延のわびをいれておくといい。
タイトルは変えない。「Re:」が自動的につくので、同じトピックのコミュニケーションが続く場合はメールのやり取りの順番が変わらないようにあえて変えない方が良い。(たまに自分で「返信」とか入れてしまう人がいるけど、やらないでOK)
●宛先
メインにあたる人、CCに入れたい人、メインの相手に見せたくはないけど、社内などで送ったことだけはこっそり見せておきたい人はBCCなどにする…など、適切に選択すると良い。
特にメール冒頭で△△様と書いたあとに(CC:△△様、△△様)と相手会社のCCメンバーも入れておくと、メインでコミュニケーションをとりたいわけではないが、相手側でメインの方が動けない場合などに代理で返信をくれたり進捗を教えてくれたりするので、これも使える。
また、一斉メールの場合、個人情報保護の観点から全員をBCCに入れ、メインに自分自身のアドレス、CCに自分側のメンバーを入れておくと、一斉メールで出した相手が返信してくれた時に必要な相手に返信内容が届くので便利。
●内容
今日、明日、今週末などの曖昧な言葉は使わない!なぜかというとメールは相手がいつ読むのかでその軸が変わるから「明日」と言っても読む時間帯によっては「今日」になったり、週末の日曜日を来週と捉えるのか今週と捉えるのかは難しい。
コンサルのような激務の人たちと仕事をしていると、「レポートは金曜日までにあげておいてください」と言われた場合、「金曜日の何時ですか。就業時間ですか、日付終わる時間ですか(笑)。」と確認し、「金曜の…ま、夜中でいいです」などと彼らのワーキングスタイルを理解した上でこちらも最大限の報告書を上げたりしていました。
日付は「明日〇〇日(金)夕方までに」など、時間指定まではしないにしても、誤解のない書き方をすると良いです。
また、1トピック(内容)につき、1メールです。案件の内容が変わって「ところで」と他の案件の内容を足したりしてしまうと、関係者も報告すべき人も変わってきます。もしも同じ相手に対してでも2つの仕事内容の相談をしたいのであれば、他のメールを改めて出して、タイトルや関係者を変えて出さなければなりません。←これは若い子がよく上司に怒られていたりしました。なかなか知らない人も多いと思います。
他にも、最近は「5W1H」はいらない、「2W1H」(つまりWhat, Why, How)だけでいい!と言われていますし、冒頭の長々としたあいさつ文などは必要なく、箇条書きで必要なことだけ並べて欲しいという人もたくさんいます。
LINEは確かに便利です。
でも名だたる大企業では仕事上の話をLINEですることはセキュリティ上禁止されていますし、中国へ渡航したことがある方は知っていると思いますが、あちらではLINEは使えません。
どんな情報をどれだけ抜かれているのか…私たちの現在の情報社会ではすべてがばれていますから、Googleで検索した単語、TSUTAYAカードなどでは、買った買い物と購買層、物品からの嗜好、すべてビッグデータとなってバレています。
どんなにLINEが便利になっても、それが公式文書になることはない…あったとしてもまだまだ先でしょうから、きちんとセキュリティのかかったメールがコミュニケーションのツールであり続けることはしばらくは変わらないでしょうから(それでも昔は公式文書扱いではなかったぐらい!)、人を不愉快にさせない、適切にコミュニケーションをとるためのメールの書き方は一般的な常識的には頭に入れておくと便利です。
それにしても…
名指しのメールに返信しなかったうちの一人の方。その後あってもなんてことなく「こんにちは~」と普通の様子だったので、悪気も何もないのだろうなぁ…と思いました。
ただもしLINEだったらこれからも続いていたであろうコミュニケーションが、メールだと返信しないために断絶されてしまう…そういうことを普段から無意識にしているとしたら、もったいないな~と思ってしまいます。
コミュニケーションはキャッチボールです。相手が投げてくれたボールに、相手が取りやすいように投げ返して成立するものですよね。
SLA発起人
「ダイアロジック・リーディング」ワークショップの案内を出す中で、前からずっと気になってきたことでさらに浮彫になったことがあります。
島にはメール文化がもうない???
まあ、LINEがここまで普及するまでは、もちろん絵文字たっぷりのメール文化もあったでしょうし、
学校からの一斉メールはいまだに主流ツールとして使われているケースもあるでしょうが、
親同士の連絡、もっといえばPTAや子ども教室からの連絡までLINEに取って代わられた…という感じです。
ちょっと東京ではない現象かも。
あちらはまだ「メール=オフィシャル」「LINE=プライベート」のライン引きがしてあるので、
学校の公式連絡はもちろん、PTAの親同士の連絡もメールで来ます。
そこから各分科会になるとLINEで話を済ませようという動きもありますが、
あまりにやりとりが多くなると、「LINEのやり取りが多すぎて非合理的ではないか。決まったことだけ流せばいいのではないか。」という議論が上がったりすることもしばしば。
私は断然公式なものに関してはメール派です。
夜中ピコピコ鳴らしてしまう申し訳なさ、文章の分かり辛さ(この前も言ったように崩壊レベルに陥る場合もあり)、そしてやり取りの多さを考えると、LINEを使用するにしても「一斉報告」にとどめるべきだと思うからです。
そんな中、SLAの宣伝や連絡をメールとLINEの両方を使ってやっていますが、ここ数週間で気が付いたこと。
メールだと、相手の名前を名指しして送っていても一斉連絡と勘違い?見落とし?しているのか、返信が来ない!!!ということです。
これは初めての経験だったので正直びっくりしました!自分の名前が入って〇〇さんへといって連絡が来ているものを無視できるのか?という疑問…
しかもそのうち2人はそれなりのお仕事を現役でしている方たちなので、逆に仕事の時はどうしているのだろう…と思ってしまいました。
一方LINEだと、絶対に返ってきます。これはもちろん「既読」機能のせいもあるかもしれませんが、やはり名指し(というか個人のLINEアカウントに)で来ている内容には、きちんとなんらかのアクションをとらなければならないという意識が働いているからかもしれません。
私が教員から一般企業の仕事に転職した時。
一番戸惑ったことがメールの使い方でした。
教員だったころには全体へのお便りで済んでいたコミュニケーションが、一般ビジネスに変わると繰り返し行われる交渉ツールになったり、記録として残る公式文書となったり、上司をCCに入れることで承認してもらう報告になったり…ビジネス上の役割と機能がたくさんあるからです。
以下にメールの「適切と思われる」書き方を紹介します。ビジネスで使用しない人にも、何かしらに役立つ情報かもしれません。
●送信にして
まずは重要なこととして「タイトル」。相手が気づきやすいものにする。
これを「こんにちは」や「お世話になります」や「〇〇のXXです」にする人が多々!!!本当に多いです。
でもそれだと相手は「一体このメールは何の話?となってしまい、その後メールの内容を読み返したい場合に探しにくい、わかりにくい。
タイトルのつけ方はセンスです。会社や業界によっても違うことがありますが、一般的に、
【ご案内】XXXXX展示会(XX会社△△←名前)
【ご報告】XXXXXプロジェクト〇月〇日時点進捗状況(XXXXX建設△△)
などと、鍵カッコやカッコを効果的に使うと、このメールは何のことなのかが一回でわかるので探しやすい。
●返信について
ビジネス上は午前に来たものについてはその日の午後のうちに、午後に来たものは翌日の午前中に返すのが一般的。
それ以上遅れる場合は、メール冒頭に遅れた理由(休暇中だった、出張中だったなど)を入れて遅延のわびをいれておくといい。
タイトルは変えない。「Re:」が自動的につくので、同じトピックのコミュニケーションが続く場合はメールのやり取りの順番が変わらないようにあえて変えない方が良い。(たまに自分で「返信」とか入れてしまう人がいるけど、やらないでOK)
●宛先
メインにあたる人、CCに入れたい人、メインの相手に見せたくはないけど、社内などで送ったことだけはこっそり見せておきたい人はBCCなどにする…など、適切に選択すると良い。
特にメール冒頭で△△様と書いたあとに(CC:△△様、△△様)と相手会社のCCメンバーも入れておくと、メインでコミュニケーションをとりたいわけではないが、相手側でメインの方が動けない場合などに代理で返信をくれたり進捗を教えてくれたりするので、これも使える。
また、一斉メールの場合、個人情報保護の観点から全員をBCCに入れ、メインに自分自身のアドレス、CCに自分側のメンバーを入れておくと、一斉メールで出した相手が返信してくれた時に必要な相手に返信内容が届くので便利。
●内容
今日、明日、今週末などの曖昧な言葉は使わない!なぜかというとメールは相手がいつ読むのかでその軸が変わるから「明日」と言っても読む時間帯によっては「今日」になったり、週末の日曜日を来週と捉えるのか今週と捉えるのかは難しい。
コンサルのような激務の人たちと仕事をしていると、「レポートは金曜日までにあげておいてください」と言われた場合、「金曜日の何時ですか。就業時間ですか、日付終わる時間ですか(笑)。」と確認し、「金曜の…ま、夜中でいいです」などと彼らのワーキングスタイルを理解した上でこちらも最大限の報告書を上げたりしていました。
日付は「明日〇〇日(金)夕方までに」など、時間指定まではしないにしても、誤解のない書き方をすると良いです。
また、1トピック(内容)につき、1メールです。案件の内容が変わって「ところで」と他の案件の内容を足したりしてしまうと、関係者も報告すべき人も変わってきます。もしも同じ相手に対してでも2つの仕事内容の相談をしたいのであれば、他のメールを改めて出して、タイトルや関係者を変えて出さなければなりません。←これは若い子がよく上司に怒られていたりしました。なかなか知らない人も多いと思います。
他にも、最近は「5W1H」はいらない、「2W1H」(つまりWhat, Why, How)だけでいい!と言われていますし、冒頭の長々としたあいさつ文などは必要なく、箇条書きで必要なことだけ並べて欲しいという人もたくさんいます。
LINEは確かに便利です。
でも名だたる大企業では仕事上の話をLINEですることはセキュリティ上禁止されていますし、中国へ渡航したことがある方は知っていると思いますが、あちらではLINEは使えません。
どんな情報をどれだけ抜かれているのか…私たちの現在の情報社会ではすべてがばれていますから、Googleで検索した単語、TSUTAYAカードなどでは、買った買い物と購買層、物品からの嗜好、すべてビッグデータとなってバレています。
どんなにLINEが便利になっても、それが公式文書になることはない…あったとしてもまだまだ先でしょうから、きちんとセキュリティのかかったメールがコミュニケーションのツールであり続けることはしばらくは変わらないでしょうから(それでも昔は公式文書扱いではなかったぐらい!)、人を不愉快にさせない、適切にコミュニケーションをとるためのメールの書き方は一般的な常識的には頭に入れておくと便利です。
それにしても…
名指しのメールに返信しなかったうちの一人の方。その後あってもなんてことなく「こんにちは~」と普通の様子だったので、悪気も何もないのだろうなぁ…と思いました。
ただもしLINEだったらこれからも続いていたであろうコミュニケーションが、メールだと返信しないために断絶されてしまう…そういうことを普段から無意識にしているとしたら、もったいないな~と思ってしまいます。
コミュニケーションはキャッチボールです。相手が投げてくれたボールに、相手が取りやすいように投げ返して成立するものですよね。
SLA発起人
2020年12月15日
ダイアロジック・リーディング
ブログ更新億劫病です。引き続き。
どおりで若者はスマホから簡単にできる「Twitter」や「Instagram」に流れていきますよね。
手軽に、気楽に、簡単に、一言で言いたいことを言ってしまえば済むわけですから。
ただそれが社会問題になるようなきっかけを作ってしまう。
大分昔になりますが、恵比寿のレストランにプロサッカー選手がタレントさん?とデートに来ているのをタイムリーにTwitterで呟いてしまった女子大生が、
バイト中なのに守秘義務を守らず顧客のプライバシーを暴露したということで、逆に個人名を特定され、大学や自宅までもネット上にさらされることになり、
いわゆる「炎上」を起こしたことがありました。
芸能人を簡単に誹謗中傷したりして、そのせいで自殺に追い込まれるような事件になってしまった事件も記憶に新しいと思います。
ブログだからその危険性がないわけではない。でも、長文を書くという作業はTwitterや写真にコメントを載せるInstagramとはちょっと性質が違い、文章の前後関係を考えたり、一旦読み直したり(それでも急いでアップすると大変な文章レベルや誤字脱字にはなるけど笑。)、ちょっと一呼吸できる部分があるのかもしれません。
2016年に発売された「LINEで子どもがバカになる」という本がありますが、これにいたっては「LINEで大人もバカになっている」ことは否めないと思います。
主語を抜いても感覚で通じてしまう短文のやり取り、スタンプ(若者は使わないらしい!)、そして「草」や「りょ(り)」や「ワロタ」のような略語(もはやこれらも古い!)、前後関係関係なく、頭にあることをそのまま打てば相手に通じるからとても簡単便利に使えるコミュニケーションツールは、逆に私たちのコミュニケーション能力を低下させていっているのです。
それでも私は、「やればできる子ちゃん!」であればいいのだと思います。
つまり、「小論文」「読書感想文」「報告書」を書かなければならないシチュエーションできちんと書く能力さえ身につけていれば、
全く問題なくSNSの機能を楽しめばいいのではないでしょうか。
今週末、SLA初の未就学児対象イベントをこじんまりおこないます。
瀬戸内町でもコロナ患者が発生し、毎日ビクビクしておりましたが、連続で患者が増えていないこと、
イベントの場所が換気抜群で、親たちがきちんと対策すれば密にならないですみそうなことから決行することにしました。
今回のテーマは「ダイアロジック・リーディング」というアメリカでは主流な読み聞かせ方で、子どもへの対話を増やすことで、子どもの発言を「促進」し、「評価」し、「拡張」させ、「反復」させるシーケンスをとるものです。
これによりインプット→処理→アウトプットを通じて全体的な読解力をつけるように促します。
このブログでも紹介した「AI vs.教科書が読めない子どもたち」の例や、数々の雑誌の記事から、今何が子どもに足りなくて、親がどうやって補ってあげられるのか。
でも実は親の我々自身が足りていないものはなんなのか。
そういったことをこの2020年の締めくくりにしたいと思います。
どうかコロナ患者が増えませんように。そしてそれに心と神経がむしばまれるような年末年始になりませんように。
SLA発起人
どおりで若者はスマホから簡単にできる「Twitter」や「Instagram」に流れていきますよね。
手軽に、気楽に、簡単に、一言で言いたいことを言ってしまえば済むわけですから。
ただそれが社会問題になるようなきっかけを作ってしまう。
大分昔になりますが、恵比寿のレストランにプロサッカー選手がタレントさん?とデートに来ているのをタイムリーにTwitterで呟いてしまった女子大生が、
バイト中なのに守秘義務を守らず顧客のプライバシーを暴露したということで、逆に個人名を特定され、大学や自宅までもネット上にさらされることになり、
いわゆる「炎上」を起こしたことがありました。
芸能人を簡単に誹謗中傷したりして、そのせいで自殺に追い込まれるような事件になってしまった事件も記憶に新しいと思います。
ブログだからその危険性がないわけではない。でも、長文を書くという作業はTwitterや写真にコメントを載せるInstagramとはちょっと性質が違い、文章の前後関係を考えたり、一旦読み直したり(それでも急いでアップすると大変な文章レベルや誤字脱字にはなるけど笑。)、ちょっと一呼吸できる部分があるのかもしれません。
2016年に発売された「LINEで子どもがバカになる」という本がありますが、これにいたっては「LINEで大人もバカになっている」ことは否めないと思います。
主語を抜いても感覚で通じてしまう短文のやり取り、スタンプ(若者は使わないらしい!)、そして「草」や「りょ(り)」や「ワロタ」のような略語(もはやこれらも古い!)、前後関係関係なく、頭にあることをそのまま打てば相手に通じるからとても簡単便利に使えるコミュニケーションツールは、逆に私たちのコミュニケーション能力を低下させていっているのです。
それでも私は、「やればできる子ちゃん!」であればいいのだと思います。
つまり、「小論文」「読書感想文」「報告書」を書かなければならないシチュエーションできちんと書く能力さえ身につけていれば、
全く問題なくSNSの機能を楽しめばいいのではないでしょうか。
今週末、SLA初の未就学児対象イベントをこじんまりおこないます。
瀬戸内町でもコロナ患者が発生し、毎日ビクビクしておりましたが、連続で患者が増えていないこと、
イベントの場所が換気抜群で、親たちがきちんと対策すれば密にならないですみそうなことから決行することにしました。
今回のテーマは「ダイアロジック・リーディング」というアメリカでは主流な読み聞かせ方で、子どもへの対話を増やすことで、子どもの発言を「促進」し、「評価」し、「拡張」させ、「反復」させるシーケンスをとるものです。
これによりインプット→処理→アウトプットを通じて全体的な読解力をつけるように促します。
このブログでも紹介した「AI vs.教科書が読めない子どもたち」の例や、数々の雑誌の記事から、今何が子どもに足りなくて、親がどうやって補ってあげられるのか。
でも実は親の我々自身が足りていないものはなんなのか。
そういったことをこの2020年の締めくくりにしたいと思います。
どうかコロナ患者が増えませんように。そしてそれに心と神経がむしばまれるような年末年始になりませんように。
SLA発起人
2020年12月09日
withコロナと言いつつも
あっという間に12月…人の死やらウィルスやらでブログの更新がしんどくて、先延ばしにしていました。
とうとうこの瀬戸内町にもやってきた新型コロナウィルスの輩
もうwithコロナの時代だ、東京で見てきて、身近な友人や仲間がそうやって生活しているのを見て、自分もそのつもりだったのですが、
いざ身近なものになってみると、まだまだ未知で怖くて疑心暗鬼になってしまう、ものすごい威力を持つウィルスなんだな…と思います。
身体だけではなく、心もむしばむ…
しかも感染者の年代が若い若い!(こう言ってしまうことも誹謗中傷になってしまいそうでそこも怖いところですが)
本当に身近な問題なんだなと感じております。
閉じてしまった食事処も、郵便局も、念のため学校や習い事を休んでいる子どもたちも、その親も。
娘の東京の小学校では昨日、児童1名が感染しました。
そして濃厚接触者はすぐに陰性と判明。
教職員総出で除菌作業をし、今日は通常通り授業だそうです。
ただし心配だから休ませたい人は公休扱いとのこと。
恐る恐るみんなに聞いてみると「うちは行かせたよ~」という家がほとんど。
スゴイな…みんな本当にwithコロナ。昨日判明した状態でも除菌が済んでいればもう学校に普通にいかせるし、子どもも行きたがるとのこと。
1人だけ。娘が幼稚園から一緒で、家が斜め向かいのマンションなので毎朝一緒に登校する男の子だけは、なんと先週からお休みしているとのこと。
パパの会社で感染者が出たので、パパもママも自宅待機。念のため子どもも自宅待機を選んで、先生には家の用事で休んでいますという風にクラスで説明してもらっているそうです。
「僕がコロナだと思われたらどうしよう…」とそれでなくとも心配性の優しい彼が、増々悩んでしまったとのこと。
「〇〇君が休んでいる間に誰かがかかったってことだから、疑われないよ、大丈夫だよ」と朝LINEしました。
そんな心配まで子どもにさせてしまうこのコロナ。憎たらしい限りです。
仙台に住む高校の友人のお父さんは、このコロナ禍の9月末に末期の胃がんと判明。
入院してしまうと家族に会えなくなってしまうため、何も手を施せないのならということから自宅療養を選びました。
そしてあっという間に11月の末に病状が悪化し天国へ旅立ちました。
この時期だから、ここ2か月は家族でゆっくりどういった葬儀をするかを話し合えたそうです。
そして最後の最後まで痛みが奇跡的になかったらしく、穏やかに呼べば返事をする程度の中で眠りについたとか。
ある意味、私の父いわく「最高な死に方だな」というぐらい、良かったのかもしれません。
ただその友人。
ご主人をちょうど2年前にくも膜下出血で亡くしました。47歳のまだまだ働き盛りのご主人を。
同級生の友人たちの間で一番先に結婚し、私もそのご主人に散々可愛がってもらって、20年来の付き合いだったため、亡くなったと聞いたときはこちらまで気が狂いそうなショックを受けて、泣き崩れました。
家族葬にするとのことでしたが、荼毘にふす前に最後に顔を見たくて東京から始発の新幹線で駆け付けました。
友人のそんな傷がまだまだ癒えず、お別れが嫌で納骨さえできていない今年三回忌に偶然重なってしまった彼女のお父さんの死。
2年間で大事なご主人と自分の父親を一気に亡くしてしまったんだな…と思うと、彼女と彼女の娘さんにとってこの時期は一生辛い時期になってしまうのだろうなと思ってしまいます。
そんな彼女たちに自分は何ができるのだろうと思って悩み、手紙を書き、本を用意して奄美から届けました。
人に心を送るのは難しいです。
慰めたいし、元気になってもらいたい。でも軽々しいことを言ったら白々しいし。
幸運にも今回は彼女に届いた私の想い。
それでも彼女の状況を本当の意味で理解することは難しいです。誰の立場でもそうでしょうけどね。
「書物の新しいページを1ページ、1ページ読むごとに、私はより豊かに、より強く、より高くなっていく。(チェーホフ)」
でも、1ページ1ページ大事に読まなくてもいいと思います。
「書物そのものは、君に幸福をもたらすわけではない。ただ書物は、君が君自身の中へ帰るのを助けてくれる。(ヘッセ)」
そして、
「良き書物を読むことは、過去の最も優れた人達と会話をかわすようなものである。(デカルト)」
とも言われていますし。本と会話ができればそれでいい。助けてもらえればそれでいい。
彼女も落ち着いたら、私が送った本の中から「一言」でもいいので何かを見出して、それに支えながらこの嫌な時期を乗り切って欲しいな…と思ってしまいます。
「喪失学 「ロス後」をどう生きるか? (坂口 幸弘)」
何かを失くすということは、誰にでも必ず起こることです。その時にどう向き合うのか。この本が必ずしも正しいわけではないのでしょうが、
何かのヒントになるかもしれません。
SLA発起人
とうとうこの瀬戸内町にもやってきた新型コロナウィルスの輩
もうwithコロナの時代だ、東京で見てきて、身近な友人や仲間がそうやって生活しているのを見て、自分もそのつもりだったのですが、
いざ身近なものになってみると、まだまだ未知で怖くて疑心暗鬼になってしまう、ものすごい威力を持つウィルスなんだな…と思います。
身体だけではなく、心もむしばむ…
しかも感染者の年代が若い若い!(こう言ってしまうことも誹謗中傷になってしまいそうでそこも怖いところですが)
本当に身近な問題なんだなと感じております。
閉じてしまった食事処も、郵便局も、念のため学校や習い事を休んでいる子どもたちも、その親も。
娘の東京の小学校では昨日、児童1名が感染しました。
そして濃厚接触者はすぐに陰性と判明。
教職員総出で除菌作業をし、今日は通常通り授業だそうです。
ただし心配だから休ませたい人は公休扱いとのこと。
恐る恐るみんなに聞いてみると「うちは行かせたよ~」という家がほとんど。
スゴイな…みんな本当にwithコロナ。昨日判明した状態でも除菌が済んでいればもう学校に普通にいかせるし、子どもも行きたがるとのこと。
1人だけ。娘が幼稚園から一緒で、家が斜め向かいのマンションなので毎朝一緒に登校する男の子だけは、なんと先週からお休みしているとのこと。
パパの会社で感染者が出たので、パパもママも自宅待機。念のため子どもも自宅待機を選んで、先生には家の用事で休んでいますという風にクラスで説明してもらっているそうです。
「僕がコロナだと思われたらどうしよう…」とそれでなくとも心配性の優しい彼が、増々悩んでしまったとのこと。
「〇〇君が休んでいる間に誰かがかかったってことだから、疑われないよ、大丈夫だよ」と朝LINEしました。
そんな心配まで子どもにさせてしまうこのコロナ。憎たらしい限りです。
仙台に住む高校の友人のお父さんは、このコロナ禍の9月末に末期の胃がんと判明。
入院してしまうと家族に会えなくなってしまうため、何も手を施せないのならということから自宅療養を選びました。
そしてあっという間に11月の末に病状が悪化し天国へ旅立ちました。
この時期だから、ここ2か月は家族でゆっくりどういった葬儀をするかを話し合えたそうです。
そして最後の最後まで痛みが奇跡的になかったらしく、穏やかに呼べば返事をする程度の中で眠りについたとか。
ある意味、私の父いわく「最高な死に方だな」というぐらい、良かったのかもしれません。
ただその友人。
ご主人をちょうど2年前にくも膜下出血で亡くしました。47歳のまだまだ働き盛りのご主人を。
同級生の友人たちの間で一番先に結婚し、私もそのご主人に散々可愛がってもらって、20年来の付き合いだったため、亡くなったと聞いたときはこちらまで気が狂いそうなショックを受けて、泣き崩れました。
家族葬にするとのことでしたが、荼毘にふす前に最後に顔を見たくて東京から始発の新幹線で駆け付けました。
友人のそんな傷がまだまだ癒えず、お別れが嫌で納骨さえできていない今年三回忌に偶然重なってしまった彼女のお父さんの死。
2年間で大事なご主人と自分の父親を一気に亡くしてしまったんだな…と思うと、彼女と彼女の娘さんにとってこの時期は一生辛い時期になってしまうのだろうなと思ってしまいます。
そんな彼女たちに自分は何ができるのだろうと思って悩み、手紙を書き、本を用意して奄美から届けました。
人に心を送るのは難しいです。
慰めたいし、元気になってもらいたい。でも軽々しいことを言ったら白々しいし。
幸運にも今回は彼女に届いた私の想い。
それでも彼女の状況を本当の意味で理解することは難しいです。誰の立場でもそうでしょうけどね。
「書物の新しいページを1ページ、1ページ読むごとに、私はより豊かに、より強く、より高くなっていく。(チェーホフ)」
でも、1ページ1ページ大事に読まなくてもいいと思います。
「書物そのものは、君に幸福をもたらすわけではない。ただ書物は、君が君自身の中へ帰るのを助けてくれる。(ヘッセ)」
そして、
「良き書物を読むことは、過去の最も優れた人達と会話をかわすようなものである。(デカルト)」
とも言われていますし。本と会話ができればそれでいい。助けてもらえればそれでいい。
彼女も落ち着いたら、私が送った本の中から「一言」でもいいので何かを見出して、それに支えながらこの嫌な時期を乗り切って欲しいな…と思ってしまいます。
「喪失学 「ロス後」をどう生きるか? (坂口 幸弘)」
何かを失くすということは、誰にでも必ず起こることです。その時にどう向き合うのか。この本が必ずしも正しいわけではないのでしょうが、
何かのヒントになるかもしれません。
SLA発起人